AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

薪をくべる理由

ワクチンの会場は午前に繁盛し、午後になると閑散とした。今日はモデルナの会場だ。夕刻のいま、日が沈み、会場には接種希望者の姿が一人も見当たらない。他の医師は帰った。僕は何故だかいつも居残り。つい先日、「ファイザーファイザー→モデルナ」のほうが「ファイザーファイザーファイザー」よりも抗体価が上昇するという報道があったらしい。厚労省の資料に基づいているというのでさらに調べると、確かにLancet誌にそうした内容の論文が出たようだ。モデルナが副反応を理由に忌避される中、一石を投じることになりそう。この報道がなければ午前も閑散とするところだった。 あまりにも何もやることがないので、スマホパパ活アプリをひさびさに開く。今月や来月のアポは全面休止しているが、新規の女性に向けて常に門戸は開いている。おおよそ1日に4、5人くらい僕が仕掛けた網にかかる。はっきり言って初対面の最初の2、3のやりとりは全部コピペで済ませている。将棋の序盤みたいにとくに考える余地がない。あらかじめ決まった文面を手入力し送信する。返ってきた相手の反応からパパ活に対するモチベーションや希望、人柄などを吟味する。パパ活は圧倒的な買い手市場だ。いわゆる出会い系アプリとは男女の立場が正反対なのが面白い。これは男性会員の利用価格がかなり高めに設定されているためで、それなりに社会的に成功した男性しかいないことになっているので当然だ。おそらくコロナ禍の不況が男性優位に拍車をかけている。金銭で困っているので援助して欲しいという女子大生や保育士が後を絶たない。もし嫌だったらこちらから断ればいい。ひと通り返事を見て、「あ、この人はいいな」と興味をそそられる女性は10人いて1人いるかどうか。あとの残り9人は、こちらの網にかかったものの、会う見込みは皆無である。このごろこの辺りの見極めが非常に鍛錬されてきて、プロフィールの自己紹介文と顔写真をひと目見ただけで「この人はないな」と直感で分かってきた。答え合わせのつもりで実際にやりとりを続けてみると、やっぱり予想は正しかった。会う見込みのない残念な女性の特徴は(あくまで僕個人の好みではないという意味しか持たないが)、プライドが高く、男性と出会うことを人生設計の踏み台にしか考えてないようなタイプだ。こういう上昇志向というか物怖じしないタイプの女性は、そういう心性がそのまま化粧や髪型、表情などに派手に反映されている。内側から自信がみなぎっている。世間的にいえば美人な女性が多いと思うが、僕はこういう派手で自立した女性が苦手だ。そう判断した時点で僕の興味は失せるのだが、いちおう礼儀として会うための条件を具体的に尋ねてみると、案の定、「6万円から」とか「顔合わせで2万から」など必ず法外な高額を提示される。「銀座のホテルで一晩15万円」というのがこれまでの最高額だ。「あたしを安く見ないで」と暗示的に、ときには明治的に示してくる。僕は勢いに圧倒されつつ苦笑しながら、それはこちらの希望と合わないのでごめんなさいとひとこと詫びを入れるようにしている。有無も言わさずブロックするのは流石にレディに対して失礼というもの。しかし、そこまで礼を尽くしてもなお癇癪を起こす女性が多いのには閉口してしまう。念のため繰り返すが、ここは男性優位の市場だ。そういう彼女たちは「女性のほうが偉い」と心から信じ込んでいる。自ら場違いな態度を改めることのできない哀れな女性だ。たいてい「こっちははじめから医者レベルなんて探してないので」と捨て台詞を吐いて去るか、「じゃあ20万でいい」とわざと過大な要求を続ける。それだけで怒りが収まらないひとはだいたい僕をブロックするか運営に通報する。僕とのやりとりをスクショしてツイッターで吊し上げてきた強者もいた(他の女性がこっそり教えてくれた)。なんだよ、とすこしムッとするけれど、まあいいや、とすぐにどうでもよくなる。どうせ二度と会わない。時間をかけるだけ無駄な相手なのだから。 僕の感覚では、理想が高いというか、自分の市場価値を見誤った残念な女性のほうが多数派を占めている。顔面の偏差値云々以前に、そういう基本的なところで競争から脱落している女性が多いのはなぜだろう(考えても仕方ないけれど)。運良く成功体験を収めて妙な自信をつけてしまったのだろうか。出会い系アプリのやりすぎで勘違いが出来上がったとしか思えないが。だとしたらとても不幸なことだ。 いずれにしても、僕の好みの女性に会うのはなかなか難しい。感触が良くても実際に会ってみて思っていたひとと全然違ったということも少なくない。ひと目でそうと分かるような偉そうな女性もいたが、そういうわけじゃないけれど結局のところただプライドが高いだけの女性もいた。いわゆる男性の前で演技するようなタイプの女性がそれに当たる。イッたふりをして、さっさと終わらそうという魂胆なのか、それとも男性を満足させるためのサービス精神からなのかよくわからないが、どっちにせよ「どうせ男なんて何もわかりゃしないんだから」という小馬鹿にした感じが否めない。僕の考えすぎか。平気で嘘をつけるひとを僕はそもそも信用しない。というか、わざわざこちらの時間を割いてまで付き合おうとは思わない。いちおう気をつけているがもしそういう演技派女優に遭遇したら(登山で熊に遭遇したみたいに)、文句を言わず、別れたあと黙ってブロックするようにしている。 そういうわけで僕はあまりデリヘルや風俗といった水商売や人種を好まない。プロと言われる女はどこか僕の目の届かないところで頭の悪い男性を騙していればいい。 僕が気になるのは、とくに美人でもなく、スタイルもそんなに褒めるところのない、演技もできないくらい経験に乏しいような素朴な女性ばかりだ。もちろんこちらが提示した金額にいちいち値段交渉したりしない。むしろ「こんなにもらっていいのか」と不安げに確認してくる(交通費に毛が生えた程度だが)。容姿で言えば地味だ。体型で言うとぽっちゃりしたひと。そのうち半分くらいのひとに彼氏や旦那がいる。さらに半分くらいのひとにセフレもいる(女性は外見によらないという教訓)。僕との交わりをきっかけに異性に目覚めてくれたら僕としては何より嬉しい。女性のカラダは一度火がつくと燃えやすく消えづらい。僕が好んで火中に薪をくべるのは、その炎を少し離れたところからいつまでも見詰めていたいからかもしれない。僕と出会ってから彼氏や旦那(彼氏)との営みがすごく楽しみになった、と女性が嬉々と語っているのを見ていると、僕は何故だかとても癒される。心が和む。

引きこもる理由

相変わらず咳がひどい。気管支のほうから続々と痰が湧き出てくる。経過からしてウイルス性の急性気管支炎でほぼ間違いない。マイコプラズマになったことが学生時代に一度あるその時は痰のない乾いた咳が2カ月くらい続いた。医者には通わなかった。ちょうど大学の授業に出席しなくなったころだったからそんなに不便はなかった。いま思えば痩せ我慢せずさっさと行けばよかった。この咳があのときと同じマイコプラズマ肺炎だったなら僕は迷わず受診して抗生剤をもらいに行っただろう。でも今回はどうやら症状や経過からそうじゃない。また、PCRは陰性だが最悪の場合オミクロンを拗らせた可能性もゼロではない。オミクロンか否か。いずれにしてもウイルス性であることに変わりはないし、市販の鎮咳薬や去痰薬の内服を続けながら自然治癒を祈る他なさそうだ。 不意に咳き込むとこちらの意図に反してその様子を見ている相手に余計な心配をかけてしまうらしい。母もそうだし、親愛なるリスナーもその例外ではない。咳き込むとすかさず「〇〇が喉にいい」とか「今すぐ病院に行ったほうがいい」とか、迷信の域を脱しない非科学的な助言を頻繁に投げつけられる。念のため言うが、僕は医者だ。自分の診断や治療法くらい知っている。必要があれば言われる前に真っ先に病院に飛び込む。もちろん心配してくれる気持ち自体はとても嬉しいしそれを否定しるわけではない。しかしながら、明らかに医学的に誤った助言は一度だけならまだしも毎日のように言われると、さすがに僕もうんざりしてくる。ありがとう、と笑顔で返すのにも無理が生じてくる。母とラインすれば「スピルリナを飲め」、配信を起動すればコメントで「マヌカハニーがいい」、「メジコンを飲むと自動車は乗ってはいけない」。次は怪しい浄水器でも買わされてしまうのだろうか。やれやれ。どうでもいいような些細な思い違いにもなんだか無性に腹が立ってくる。そのくらいいまの僕のストレス耐性が削られているということで、病状はあまり思わしくないのは間違いない。咳の一発一発が着実に精神を削り取っている。 患者側の立場に立たされて、いろいろと気付かされたことがある。医者として気付きにくい視点だ。呼吸器感染症に限らず、たぶんうつ病にも言えることだが、患者は咳をどうにかしたいと困っているのは確かだが、必ずしも「マヌカハニーを飲めばいい」といった具体的な解決策を誰かに求めているわけではないのだ(ましてや非科学的な迷信など言うまでもない)。もし具体的な対策を尋ねることがあったとしても、それはつらい思いを共有するためのただのきっかけ作りにすぎない。誰かにこの苦しさを聴いてほしい。いま僕はそういう切実な思いを抱えている。誰かにわかってもらいたいというニーズを胸の内に秘めている。しかし、そのことを明かすと、相手から具体策やら商品名やら「病院に行け」という元も子もない返答や脅しが返ってきて、かえってこちらの疲労感が増すばかり。その程度のことなら最初の5秒で思いついている。 ここらへんの瑣末なミスマッチが段々とつらくなって、誤解を解く余力もなくなってきて、引きこもりが加速している。週一の外来のバイトも退職を願い出た。重い荷物をひとつ下ろした。自殺のための準備や身辺整理みたいに捉えられていたら申し訳ないが、特にそういう意図はない。周囲を脅かすつもりはない。ただ限られたエネルギーの無駄な消耗を避けたいだけだ。コミュニケーションは基本的にかなり疲れる。相手の理解度まで計算に入れて話さなければならないからだ。ちょうど野球のキャッチボールのように。相手が想定している範囲内に球を投げなければキャッチボールは絶対に成立しない。僕はそういうのにあまり自然な楽しさを感じられない。安らぎは滅多に感じない。わずらわしい。暴投したボールが花瓶を割るのが関の山だろう。濡れ衣を着せられたり無意味な罪悪感を感じたくない。親密な会話はむしろ窮屈だし、少し身を乗り出して無理な体勢でいないといけない。僕はそういう密接なコミュニケーションというものが苦手なのだ。僕の配信を注意深く観ていただくとご承知のように、あれは厳密に言えば言葉のキャッチボールになっていない。誰かのコメントが呼び水となって、僕の記憶の引き出しが開く。引き出しの中身が言葉や物語になって溢れてくる。僕の言葉の一部が呼び水になって誰かの記憶の引き出しを開く。こうして永遠に続いていく。いわば独白(モノローグ)の反響とでも言えよう。僕はひとつのエピソードをその場にそっと置くつもりで話している。具体的な誰かを想定して話すことは稀だ。ご自由にお取りください、というつもりで誰のことも気にせず好き勝手話している。あとは焼くなり煮るなり受け手が勝手に調理すればいい。その顛末までちゃんと見届けたいとは正直思わない。 たしかに心の交流の兆しはマッチ棒が着火するときのように常に驚きや興奮をひとびとに与えるものだが、それを時間をかけて探求したいとは思わない。僕にとってそれは炭鉱を掘るより重労働である。お金をもらわないとやれない。 そういうわけであくまで無償で提供していた配信は割に合わなくなったのでしばらく休止とした。ひとりでいるのはとてもつらいことだが、いまは黙って引きこもっていたい。こちらが口を開けば開くほどあなたと僕との間に小さなズレが生じる。配信で僕の年齢を公にしたせいなのかわからないが、このごろリスナーとの距離がとても近く感じられて息苦しくなった(同時にリスナーの年齢層が僕よりひとまわり高いことも明らかになった)。舐められているとまでは言わないが、妙に馴れ馴れしいなとイラッとする瞬間は確実に増えた。僕たちは友達でも恋人でもない。オナニーの報告なんて聞きたくない。それにしばらく咳もあることだし休止にしておくのが妥当だろう。あの理想的な神輿のような人間関係が体現できなくなったとも言える。パパ活もコロナの感染拡大を受けて休止している。エネルギーを補充する手段が減った。気分はいまだによくない。ちょっとした精神的危機を迎えている。 読者からのコメント欄を排除したこのブログなら、コミュニケーションの重みもほとんど感じることはないし、しばらくは続けていけそうだ。

割れやすい理由

鼻水や咳は薬でどうにかなったが、昼夜逆転した生活リズムを元に戻すのは難しい。寝不足のまま仕事に突入する。頭はぼんやりするし気分は最悪だ。こんな自分で本当にいいのだろうか? と自分のいまの在り方そのものを疑うようになった。胸に鉛が詰まったような感じがする。こんなものを抱えて患者の命を預かるのは負担が大きすぎる。患者の命にも関わるような咄嗟の判断を必ず間違える。現に、精神科の外来で主治医としてずっと曖昧な態度をとっていたことで、患者が勤める企業の産業医との間に軋轢が生じた。診断書発行の意義から僕が捉え違えていたことで、先日院長から注意を受けたばかりだった。別のベテランの医師から精神科医産業医の関係、私傷病と労災の違いについてなど丁寧なレクチャーを受けた。とてもありがたいと思った反面、ほとんど内容が頭に残らず泣き出しそうになった。苦難を乗り越えて診療を続けたいという情熱は残っていなかった。結局この日の深夜に院長宛に3月で退職する意思のメールを送信した。自分がやりたいと言ったからやらせたのに無責任なのではないか、と非難されると思いなかなか言い出せず頭を抱えた。後日、秘書から確認の連絡があり、円満に退職の流れになった。「先生に振った患者の定着率がとても高かったのでとても話を熱心に聴いてくれたんですね。とても残念ですが頑張ってください」と非難されるどころか好評を頂いて肩透かしを食らった。 たびたびこういうことが僕の人生にはある。自分に厳しいのか、弱音を吐くと怒られるのではないかと心底不安になる。胸が詰まる。鉛みたいなもので。 この鉛が詰まった感覚が始まったのはいつからだろう? これに関連したもっとも古い記憶は、小学校低学年のときにサッカーボールを蹴って壁当てをしていたら、塀の上に置いてあった植木鉢(あるいは花瓶)にボールが当たってしまい、植木鉢が落下して割れるというものだ。この光景はたびたび夢に出てくるが、実際に現実に起きたことでもある。割れた植木鉢を眺めながら、僕は「母親に殺される」と瞬時に理解し背筋が凍りついた。本当に殺されると思った。母親はキレると言葉を選ばない。「〇〇したら首が飛ぶよ」と脅されたことがあった。小学生を相手にしてはとても凶暴な言葉を好んで使った。脅すことがいい教育だと、ヘラヘラ笑いながら受話器のコードをスパゲティみたいに指先に絡めて母親が友人と電話しているところを見てしまったことがある。 あのときの「殺される」という予感や、死罪も値するという罪悪感を超えるものをその後の人生で経験したことは一度もない。 それ以来、目の前で花瓶が割れるような事態があれば、たとえ自分の身に覚えがなくても反射的に心臓が止まりそうになる。謂れのない罪を着せられ、ひとり苦しむようになった。怒られるのではないか、あるいは殺されるのではないかと。 割れやすい植木鉢は母の心のメタファーでもある。僕が母親を壊してしまったのではないかと恐れた。幼いときの記憶だ。いまは割れやすいのは僕の方かもしれない。

パパ活を続ける理由 後編 「愛ではなく罪悪感」

このあと弟と散歩してくる。まだ咳が残っているが、完全な回復を待っていたら肝心の基礎体力の方が戻らなくなりそうだったので、どうせなら一緒に歩こうと弟を誘った。都内には歩くだけで心躍る道がある。もともと弟は身体障害者だ。100万人にひとりがなると言われる、国の難病にも指定される自己免疫性疾患のせいで手足の自由が奪われた。神経障害が心臓に及べば心停止して死亡すると主治医に宣告されたこともある。決死の覚悟で臨んだステロイドパルス療法が運良く著効して車椅子生活を脱したものの10代に歩けない期間がとても長かった。だからこうして弟と横並びで歩くことは僕らにとって特別な意味があった。ともにあの腐った家庭を生き抜いた唯一の同志でもあった。父も母も、毎日のように病床にお見舞いにきていたが、二人は対面しないように必ず時間をわずかにずらしてやってきた。母が父のあとにやってきて、父とどんな話をしたか執拗に問い詰めた。尋問に耐える弟のことを僕は気の毒に思った。 パパ活は金銭的にも精神的にも肉体的にも男性側にも女性側にも負担になる場合があり、これを読んでいる読者には決してお勧めしない。どんどんパパ活をしましょう、と奨励しているように見られているとしたら、それは大きな誤解である。僕も普通の恋愛をしたいし普通の結婚をしたい。実際に恋愛がいいなと思えたこともあった。しかし、どういうわけか些細なことで諍い(いさかい)が絶えなかったし、絶食しみるみる痩せていく彼女の姿を見ていると、自分がなんだか彼女を苦しめている罪人のような錯覚に陥った。レストランで一緒にご飯を食べているときもなんだか不味そうに食べる彼女の些細な表情が気になった。返せとは言わないが食事代を出していたのはもちろん僕の方だ。ありがとうのひとことくらいあってもよかったのではないか。セックスしている最中も、彼女主導であれこれ指図されるのが気になった。彼女が満足するならまあいいかと受け流したが、感謝の意よりも「ここをもっとこうして欲しかった」という不満や非難の方が多かった。そのとき言ってくれればいいのにあとでまとめて突きつけてきた。数えたわけじゃないが記憶に残っているのはそういう非難ばかりで、僕は自分が愚鈍なのではないかと真剣に思い悩んだ。世の中の全ての恋愛がこういうギスギスしたものなのか僕には確かめようもないが、少なくとも僕が経験したのはそういう自己犠牲の上に成り立つカリソメのやりとりに過ぎない。本当に恋愛はいいものなのだろうか? そもそも自分がしているのは恋愛なのか? 何か自分だけ別物を食わされているのではないか? と何度も自問自答した。疑問を力で振り切っていい彼氏になろうとしたことが、結局のところ決断のときを数年も遅らせてしまった原因なのかもしれない。僕は彼女を愛していたのではなく、あくまで可哀想な存在だと同情していただけなのだ。仔猫のように震える女性を見て、傷ついた何者かの姿をそこに重ね見て、自分がなんとかしなければならないと躍起になっていただけなのだ。彼女の直接的なものの言い方に傷つけられたとしても、彼女もこうして過去に傷つけられてきたのだろう、と好意的に解釈しようと必死になった。そして自分の包容力や理解力が足りないのだと自分を徹底的に責めた。彼女に向けた怒りは一瞬で自分に向かった。なんて僕はダメな人間なのだと自分の胸を繰り返し刺した。そうだ、そうだという彼女の絶頂の口舌もそれに加勢した。自己嫌悪や罪悪感のやり場に困って、結局、僕は彼女の前で爆発的な怒りを露わにした。ただに怒りではない。限界まで内圧を高めたあと、一気に解放された理不尽な怒りである。彼女は閉口し、しくしくと涙を流した。それが引き金となって僕の内部の怒りをさらに増幅させた。 いつ爆発するかわからないものを抱えていることが、僕にとって恋愛の本質だった。これはなかなか読者の共感が得られないだろう。パパ活と同様に僕も僕で理解されると思ってはじめから書いていない。でも書かずにはいられない。 そういうわけで、深入りするたびに僕の心の内奥にて巻き起こる憎しみの情緒を巧みに避けながら、女性との恋愛的な要素を楽しむには、やはり「神輿モデル」で述べたような遠浅な異性関係というものに帰着せざるを得ない。女性的な要素を完全に排除できるほど僕はまだ強くない。甘えたいし、自信を与えてほしい。存在を証明してほしいとどこかで思っている。 ただ、パパ活での存在証明に固執するあまり、金銭的な資金が段々と足りなくなってきたのはすでに述べたとおりだ。だから仕事を増やさざるを得なくなり、過労で身体にガタがきている。男性優位のパパ活市場においても、僕は女性の尻に敷かれてしまっている現状があって、恋愛を卒業したいまもなお同根の葛藤は続いている。楽しんでいるというのは上辺だけで、罪滅ぼしとしての奉仕の関係に溺れている。

パパ活を続ける理由 中編「奉仕系エス」

結局咳がひどくなってきて、派遣会社の担当者に連絡し、本日月曜から水曜日まで自主的に隔離することに決めた。PCR検査の陰性が必ずしもコロナ感染の否定を意味しないことと(偽陰性)、たとえコロナでないとしてもこの風邪は呼吸器症状が強くワクチン会場でアウトブレークさせたらまずいこと。あとはそもそも咳き込んでいる医者なんかに接種希望者は診られたくないだろうという至極当たり前のこと等を踏まえて自主隔離しようと決意した。担当者には日曜日にもかからずご迷惑をおかけした。担当者からは「なんだか面倒な医者」と思われたかもしれない。心象が悪いと次の仕事にお呼びがかからないかもしれないが、そうなったらまたその時考えればよろしい。相手を欺き、自分の体裁を保つのは僕の美学というか誠意に反する。 今月会う予定になっていたパパ活のお相手の女性たちにも現状はおおよそ伝えておいた。彼女たちとは出会い系アプリ内ではなくラインやカカオでメッセージを交換する仲だ。律儀にお正月に挨拶してくれるし、今回の僕の不調をそれなりに心配してくれる。もちろん、互いのプライベートには一切干渉しない。とくに必要のない時にダル絡みしてくるひともいない。互いに友達でも恋人でもないことをよく弁えている。こういう不思議な関係をなんて呼べばいいのか未だにわからない。神輿モデルを説明する時に僕もだいぶ苦労したが、それを呼ぶための適切な日本語はおそらくまだ存在しない。間違いなく金銭が介在しているから僕たちはセフレではなさそうだ。あえて確認したことはないが、お手当なしで僕と会うひとはたぶんひとりもいない。ただお手当といってもかなり少額で、交通費に毛が生えた程度しか実はお渡ししていない。例えば「大人は5万円からしかやっていません」と交渉してくる自信家の芸能人やモデルみたいな美人はこちらからお断りしている。ここはこのあとの論理展開でとても大事になってくるので繰り返し協調するが、渡すとしてもきわめて少額なのだ。これは相場の価格を逸脱している。だから流石に金銭だけを目的として僕と会うバカはいないだろう。健全デートで楽に稼げばいい。これは金銭のほかにも何かしら相手が僕に何かを期待しているということ。僕であることにこだわっているということの証左。前置きはさておき僕はこういう関係をまさに望んでいた。 僕は会う前に必ず自分が複数人と同じ関係を結んでいることと、もうひとつ大事なこととして僕が軽度の心因性EDであることを伝える。これは作戦ではなく真実だ。正式に泌尿器科を受診したことはないが、2年前の11月くらいから勃起しづらさを自覚していた。配信では「首里城が燃えた日に僕の僕も燃え尽きた」と冗談でよく述べるのだが、ちょうど静岡の精神科単科病院で初期研修医をしていたころに起きた。3か月くらい自慰をしなくても平気になった。人生が以前よりずっと味気ないものに感じられた。高低差のない山を歩いているようなものだ。あとで振り返ると、その頃には彼女と別れようと決意していたが、どう切り出したらいいのかわからず頭を抱えて塞ぎ込んでいた。彼女のことを考えると今でも勃起しない。 心因性EDであるため勃つかもしれないし勃たないかもしれない。コインを投げて表が出る確率よりは勃つかもしれないが、その時の気分や体力や相手の容姿にも影響される。だから、勃たない前提で、つまり挿入もしないし射精もしないことを条件としてあらかじめ僕は女性側に提示している。また、女性の秘部を大切に愛撫することを誓う。痛いことはしないと約束する。その代わり少額しか出せない。以上の条件を飲んでくれたひととだけ会っている。交渉段階でこの条件を突きつけられた女性は大抵しばらく混乱し、さまざまな反応を見せてくれる。おおむね「気持ち悪い」「詐欺師」「結局そういって入れてくるんでしょう」と罵詈雑言が飛んできて、女性を不快にさせたという罪というか、ただそれだけの理由でかなりの件数運営に通報された。「女性のアソコを舐めたいなんて余計気持ち悪いからさらに10万ください」と強気で値上げしてくる猛者もいた。僕は無自覚に女性の尾を踏みつけてしまったようだ。500人くらいにまず声をかけて数十単位で通報が寄せられた。運営から「予告なしにアカウントを削除することになるかもしれません、お気をつけて」という趣旨の業務命令のような長い文面が一方的に僕に元に届いた。どうやら怪しい条件だったからスカウト業者か何かに間違われたらしい。どこの世界に金を渡して女性のアソコを舐めたがるバカがいるんだ? と怪しまれた。僕はそんな業者がいることさえ知らなかったのでとても驚いた。それからというもの、手当たり次第声かけるのをやめて、相手をよく吟味してから選んだ。僕はやはりあの条件にこだわっていた。大金を渡して男性のアソコを舐めてくれるひとは山ほどいたが、僕は女性に奉仕されるのが基本的に嫌いだ。なんだか居心地が悪い。だから風俗やキャバクラには興味がない。メイド喫茶にすら吐き気を催して行かない。ああいう、男性に媚びた女性を見ると昔から吐き気がする。アダルト動画も女優モノはほとんど見ない。演技をしていることがとても気になった。僕が求めていたのは、僕が自分の望むように自由に奉仕でき、それを演技なしに心から受け入れて喜んでくれる女性像だった。女性とのセッションはいわば射精を目的としない生き生きとした性の営みであり、その瞬間だけでも僕が世界に必要とされることであり、僕の存在証明だった。 面白いですね、ぜひ会ってみたいです、という女性とちょくちょく会うようになって、会った女性からも次もお願いしますとたくさんのお誘いをいただいた。演技してくるひとはお断りした。会うたびに次第にお手当の金額は減っていった。肉体関係とはいえ、そこに至る前後には必ず会話というものがある。ベッドの上でまるで子守唄やお伽噺のように展開される女性の物語に僕は耳を澄ませた。ことが済んだ後の女性は恍惚な表情を浮かべながら人生について語りはじめる。小学校6年生のころに父が死んだけどいまが一番幸せだとある女性は僕に告げた。気づいたら3時間をうっかり超えそうになる。僕はいつまでも終わらない絵巻物を紐解いたような気がした。奇妙な言い方になるかもしれないが、彼女たちは僕を相手にしながら、別の男性に抱かれているように思う。おそらく今まで付き合ってきた男性の影。僕の仮説では、今まで歴代付き合ってきた男性の好みに合わせて女性は巧みに己の肉体の組成を入れ換えて、緩やかに性感帯を形成していく。女性の体には他とは明らかに組成の異なった部分が備わっている。指先でノッチ(窪み)みたいに実際に僕は触れて確かめることができる。もちろん1箇所とは限らない。そういうものを僕は女性の吐息と足先の力みを頼りに探し当てるのが得意なほうだ。女性は読まれたがっている絵巻物のようなものだ。彼女たちが僕に求めているのはまさにそういうものなのではないかと思った。 僕はエスかエムか自分でもわからない。そもそも人間は二つの種別に分けられるほどそんなに単純ではない。配信でこの話をしたところ、ある風俗嬢のリスナーから「あなたは奉仕系エスですね」と言われた。とても気に入っている。悪くない響きだった。

 

 

 

 

 

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パパ活を続ける理由 前編「神輿モデル」

PCR検査で陰性と出たが、解熱後もひどい咳と鼻水と痰に悩まされている。どのくらいひどいかというと、咳込むたびに腹圧が上がるためか、胃液が喉元まで込み上げてくる。今朝はそれで目が覚めた。しばらく続いたので便器に首を突っ込んで吐いた。あまり心地よい目覚めではなかった。明日からいちおうワクチンの予診の仕事がはじまる。日曜日なので派遣会社の担当者は不在だ。リスケはできそうにない。とりあえず近くのドラッグストアでいつもの強い鎮咳薬を買い込んだのでそれで乗り切るしかなさそうだ。 流石にパパ活も自粛している。一人ひとりにメッセージを送り、体調が戻ったらまた今度会いましょうと詫びた。怒るひとは誰もいなかった。むしろ「お大事になさってください」という温かな言葉が並んだ。末尾には申し訳ない程度に小さなハートマークの絵文字が添えられていた。出会い系やマッチングアプリの界隈には本当に悪質な女性ユーザーが多いのは確かだが、ちゃんとある手続きを踏めば、こうしてまともな女性にも巡り合うことができる。詳しい手続きは割愛するが、要するに誠意を尽くすこと。これに尽きる。男性だから偉いとか、医者だから偉いとか、そういう価値判断をやめて、ひとりの人間として正直に向き合う。とくにテクニックではないと思う。顔の見えない大勢のひとを相手にする配信でも僕はいつもそのことを強く意識している。そして、こちらから積極的に胸襟を開いて誠意を見せたとき、相手が見せる反応をよく見極める。横柄な態度だったりマウントを突然相手が取りはじめたら、それが相手の本質であり、僕は安心してブロックすることができる。このひとに時間(寿命)を預けるのはもったいないなと確信できる。いくら若くて容姿端麗で自分の好みのタイプだったとしてもこの辺りの判断はあまりブレたことがない。 ところで、パパ活というものについて話題が及ぶと「いい年していつまでも異性と遊んでるなんてよっぽどヒマで寂しいひとなんじゃないか?」とか、「よっぽど性欲が強いひとなんじゃないか?」とか、視聴者の間にもさまざまな憶測が飛び交う。なぜ真面目な医者のあなた様がパパ活なんかするんですか? と。僕は「改めて別の機会にまとめて述べます」とだけ答えていつもお茶を濁してきたわけだが、やっぱりここでちゃんと答えておきたい。前回述べたように、それがこの身体的不調の原因になっていそうだから。 まず、寂しくないか? お金のやりとりなんかして虚しくないか? そういう類の質問に対しては、寂しくないとしっかりとここで明言しておきたい。むしろ付き合っていたころよりも満たされている。これは強がりでもなければ気の迷いでもない。当初は僕も自分はなんておかしい人間なのだろうと恥ずかしく思っていた。でも、自分の考えがまとまるのにかなり時間を要したが、おそらく心の満たされ方が僕と皆さんとで根本的に異なっているのだろうという暫定的な結論にようやく至った。言うまでもなく一般的な考えではひとりの異性から愛護されることを至上のものとするが、それはどうだろうか。たとえ愛し合っているとはいえ、もともとは別々の人間な訳で、完全な価値観の一致はないし、衝突は避けられない。たとえば趣味が一緒だから好きになったとしても、夜の営みの相性が合わないなら、それはどこかしこりとして残り続ける。僕はタバコが大嫌いだから、いくら好きになった女性でも喫煙者だと分かるやいなや百年の恋も数秒で冷めてしまう。僕の場合、もう少し価値観が歪なので厄介なことが起きてしまう。基本的に一人でいるほうが好きなのだ。いちいちベタベタ一緒に居られると苛立ってしまい、余計なことを言い出しかねない。嫌いなわけではないが、パーソナルスペースがかなり必要な人間なのだと思う。相手の顔色をうかがうことに神経を消耗してしまう。アンテナの感度が異常に高い。だから1日に最低6時間くらい寝る時間を除いてひとりでいたい。僕のこの特殊な価値観に相手の側が一致させようとするなら、ここに大いなる矛盾が生じる。結局別れて暮らすしかなくなるのだ。 もし恋愛成就したとしても、嬉しいどころか好きな女性の寿命を頂いたことにプレッシャーを感じるだけだし(女性には出産可能年齢というものがあるので男性より時間の価値が重い気がする)、そもそも幸せにしてあげられる自信がないし(だから僕はペットさえ飼えない)、極端にいえば罪悪感のようなものに押しつぶされそうになる。友達がいないのも似たような考えに基づく。それだったらパパ活のほうが気楽で随分マシだと思うというのだ。ベストではないがギリギリ僕が傷つかなくて済むベターな選択である。僕のお相手の女性にたくさんパパがいてくれたほうがむしろいい。ひとりの女性を複数の彼氏が支えればいい。まるでお祭りでお神輿を肩に乗せて威勢良く担ぎ上げる若人らみたいに。僕ひとりで持ち上がらない高嶺の花もみんなで協力すれば持ち上げることができる。僕はその中に混ざって片棒を担ぐことができるならそれでいい。ちょっとだけ恋人みたいな甘い夜を過ごしてその上澄みをすすれればもう満足だ。僕はそのとき目の前にいる女性に尽くす。その夜だけでいい。朝はひとりがいい。相手の女性に深入りしたくはないし、立ち入られたくもないから。女性に担がれるのはあまり好きではないから、キャバクラとか風俗だととても居心地が悪い。男に媚を売る女とかベッドの上で臆面もなくイッた演技をかます女は好きじゃない。 もっと具体的に理想の恋愛像を言うと、サブスクみたいに月額定額いくらか払ってそこそこ美しい女性が入れ替わり立ち替わりできてくれればもう言うことはない。つまり、僕は毎日別のお祭りに参加して、別のお神輿を担ぎたい。そういうわけだ。おそらく僕の恋愛観は従来の恋愛観に基づいた浮気や不倫と呼ばれるものでもない。ひとりの本命をキープして、裏で付き合うというのは僕も卑怯な手口だと思う。僕はパパ活で会う子にはいま15人の女の子と会ってるということは正直に伝えている。そこが誠意にあたる。 こんな調子で語るもんだから、こういう前提を踏まえてその日にあったパパ活の話をすると、リスナーのみんなは「はっ?」と軽くパニックを起こす。僕も僕で「ふぇっ?」となる。配信者とリスナーの間でしばらく不穏な接触不良を起こす。最終的な落とし所として「朝青龍みたいな顔の女がきた」などの手痛い失敗談とかで笑って楽しんでもらえれば結構だが、本当はこの話には僕の人間観が全て詰まっているのだ。パパ活が次の大恋愛までの慣らし期間だと思われるのはきわめて不本意だ。 もちろんこの考えを皆さんに押し付けるつもりはない。悩みに悩み抜いた末、これは僕にとって必然なんだと思うことにした。恋愛だけじゃない。現実の友達よりも気楽にアクセスできるネットの向こう側にいる不特定多数のひとのほうがなんとなく自分には心地いいんだけど、ここの読者にもあんまり伝わないのだろうな。

 

 

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体調が崩れた7つの理由

月に1回くらいの頻度で扁桃腺が腫れて発熱してるという話を僕が配信ですると、「ワクチンを打ってから免疫がおかしくなったと思いませんか?」というコメントが必ず1日に1回は飛んでくる。たぶん陰謀論を信じているひとの目には、世界の事象は全てそういう意味ありげなものに映るのだろう。彼らはその問題の答えはおろか、それが複数回答可の問題であることさえ理解できていない。こういうひとたちは1)議論の前提となる知識が欠けていて、2)そのことに無自覚である。いわゆるリテラシーのないひとを相手にするのはもうやめにしよう。こういうひとは現実から目を逸らすために夢を見ているようなものだから自力で目が覚めるまでそっとしておこう(実務的にはブロックしてあげるのがよろしい)。 話を戻すと、定期的の体調が崩れてしまう理由は他にある。ワクチン以外にも、昨年は本当に著しい変化が僕の身に起きたのだ。一元的に医学的に理由を述べるなら、心的ストレスによる自律神経系の乱れと副腎皮質ホルモンの過剰分泌による白血球数の低下(自然免疫の機能低下)である。いくら換気の悪いトレーニングジムやワクチン会場の予診ブースとはいえ、そんなに高い頻度で風邪などのウイルスに感染し発症するのはおかしい。やはり免疫力の低下は見落とせないだろう。そのストレスの原因はひとつではなくていくつか想定される。ただ、何度自己内省を試みてもなかなか2、3に絞りきれなかったが、軽くアイデアだけまとめて置いておく。

 

①両親の離婚調停の泥沼化

②精神症状の悪化で弟が大学を中退し「死にたい」と初めて口にしたこと

③5年近く付き合っていた彼女と別れたこと(別れて悲しいとかではなく、なんであんなことを言われながら自分は時間と金をかけていたのだろうという激しい自己嫌悪と憎悪)

④昨年の精神科単科病院の勤務と打って変わり、大学病院の激務に全くついていけず自信を喪失したこと

パパ活そのものの負担というより、むしろ癒しだったが、ひと月に面会する女性の人数がリピートが増えたことで10-20人と膨れ上がり肉体的に限界がきたこと(馬鹿みたいな理由だが、なぜ意に反して予定をぎっしり詰めてしまったのかについては僕自身にもあまり定かではないが、これはまた別の機会を設けて詳しく書くことにしよう)

⑥ワクチン会場の予診の仕事を休日もなくなるくらい増やしすぎたこと(これは単純に⑤の派生であり、お相手をしてくれる女性の数が劇的に増えてしまったことでパパ活の資金が足りなくなったから)

⑦人生の目標を見失ったこと。よい精神科医になるとか、産業医になるとか、留学するとか、愛する者のために生きるとか、内容は何でもいいが、そういう健全な野心がなくなり、燃え尽きた。同期や後輩の精神科医が眩しく見えた。後輩の精神科医のひとりはネットで少し話題にもなった。コロナ禍でひとびとの心が塞ぎ込んだ時代だからこそ精神科医が必要とされていると理屈で理解できるが、そこに感情が伴わない。自分じゃなくてもいいじゃないかと、どこか冷めている。かつてそこにあった熱が奪われている。

 

なんとなく思いつくままに列挙したが、直観的に、上記の理由の中に仲間はずれはひとつもないと僕は考える。いずれも全てどこかでつながっていて、さまざまな因果があって最終的にワクチン予診の激務に帰結し、過労により病弱になっているというストーリィ(物語)として捉え直すことができそうだ。

 

追記

1月19日の朝に強い咽頭痛、鼻汁、鼻閉がはじまり、同日の夜に38度台まで発熱した。この時点でオミクロンの感染を強く疑い、東京都の某区の発熱相談センターに連絡し、翌20日の正午に紹介先の近医内科を受診しPCR検査を実施した。夜間も焼けるような咽頭痛と強い咳嗽に悩まされて結局一睡もできなかった。20日は僕の精神科外来の日だった。前週に切迫する希死念慮を認めた20代の女性を診察しており、その大事な診察を控えていたが、主治医の発熱のため休診となった。代診医の先生に急遽お願いすることになり、その日はあまり生きた心地がしなかったせいか咳がひどかった。夜間もほとんど眠れない。本日21日、軽く仮眠を取るとだいぶ体が楽になったように感じた。何度検温しても36度台を維持し、15時に近医を介して保健所から陰性の結果の通知を受けた。10日間の隔離にならず済んでホッとした。もし陽性だったら次の外来も休診になるところだった。安堵のためか症状も劇的に軽快した。こうして文章を残しておこう、という前向きな気持ちも出てきた。

 

 

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