AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

引きこもる理由

相変わらず咳がひどい。気管支のほうから続々と痰が湧き出てくる。経過からしてウイルス性の急性気管支炎でほぼ間違いない。マイコプラズマになったことが学生時代に一度あるその時は痰のない乾いた咳が2カ月くらい続いた。医者には通わなかった。ちょうど大学の授業に出席しなくなったころだったからそんなに不便はなかった。いま思えば痩せ我慢せずさっさと行けばよかった。この咳があのときと同じマイコプラズマ肺炎だったなら僕は迷わず受診して抗生剤をもらいに行っただろう。でも今回はどうやら症状や経過からそうじゃない。また、PCRは陰性だが最悪の場合オミクロンを拗らせた可能性もゼロではない。オミクロンか否か。いずれにしてもウイルス性であることに変わりはないし、市販の鎮咳薬や去痰薬の内服を続けながら自然治癒を祈る他なさそうだ。 不意に咳き込むとこちらの意図に反してその様子を見ている相手に余計な心配をかけてしまうらしい。母もそうだし、親愛なるリスナーもその例外ではない。咳き込むとすかさず「〇〇が喉にいい」とか「今すぐ病院に行ったほうがいい」とか、迷信の域を脱しない非科学的な助言を頻繁に投げつけられる。念のため言うが、僕は医者だ。自分の診断や治療法くらい知っている。必要があれば言われる前に真っ先に病院に飛び込む。もちろん心配してくれる気持ち自体はとても嬉しいしそれを否定しるわけではない。しかしながら、明らかに医学的に誤った助言は一度だけならまだしも毎日のように言われると、さすがに僕もうんざりしてくる。ありがとう、と笑顔で返すのにも無理が生じてくる。母とラインすれば「スピルリナを飲め」、配信を起動すればコメントで「マヌカハニーがいい」、「メジコンを飲むと自動車は乗ってはいけない」。次は怪しい浄水器でも買わされてしまうのだろうか。やれやれ。どうでもいいような些細な思い違いにもなんだか無性に腹が立ってくる。そのくらいいまの僕のストレス耐性が削られているということで、病状はあまり思わしくないのは間違いない。咳の一発一発が着実に精神を削り取っている。 患者側の立場に立たされて、いろいろと気付かされたことがある。医者として気付きにくい視点だ。呼吸器感染症に限らず、たぶんうつ病にも言えることだが、患者は咳をどうにかしたいと困っているのは確かだが、必ずしも「マヌカハニーを飲めばいい」といった具体的な解決策を誰かに求めているわけではないのだ(ましてや非科学的な迷信など言うまでもない)。もし具体的な対策を尋ねることがあったとしても、それはつらい思いを共有するためのただのきっかけ作りにすぎない。誰かにこの苦しさを聴いてほしい。いま僕はそういう切実な思いを抱えている。誰かにわかってもらいたいというニーズを胸の内に秘めている。しかし、そのことを明かすと、相手から具体策やら商品名やら「病院に行け」という元も子もない返答や脅しが返ってきて、かえってこちらの疲労感が増すばかり。その程度のことなら最初の5秒で思いついている。 ここらへんの瑣末なミスマッチが段々とつらくなって、誤解を解く余力もなくなってきて、引きこもりが加速している。週一の外来のバイトも退職を願い出た。重い荷物をひとつ下ろした。自殺のための準備や身辺整理みたいに捉えられていたら申し訳ないが、特にそういう意図はない。周囲を脅かすつもりはない。ただ限られたエネルギーの無駄な消耗を避けたいだけだ。コミュニケーションは基本的にかなり疲れる。相手の理解度まで計算に入れて話さなければならないからだ。ちょうど野球のキャッチボールのように。相手が想定している範囲内に球を投げなければキャッチボールは絶対に成立しない。僕はそういうのにあまり自然な楽しさを感じられない。安らぎは滅多に感じない。わずらわしい。暴投したボールが花瓶を割るのが関の山だろう。濡れ衣を着せられたり無意味な罪悪感を感じたくない。親密な会話はむしろ窮屈だし、少し身を乗り出して無理な体勢でいないといけない。僕はそういう密接なコミュニケーションというものが苦手なのだ。僕の配信を注意深く観ていただくとご承知のように、あれは厳密に言えば言葉のキャッチボールになっていない。誰かのコメントが呼び水となって、僕の記憶の引き出しが開く。引き出しの中身が言葉や物語になって溢れてくる。僕の言葉の一部が呼び水になって誰かの記憶の引き出しを開く。こうして永遠に続いていく。いわば独白(モノローグ)の反響とでも言えよう。僕はひとつのエピソードをその場にそっと置くつもりで話している。具体的な誰かを想定して話すことは稀だ。ご自由にお取りください、というつもりで誰のことも気にせず好き勝手話している。あとは焼くなり煮るなり受け手が勝手に調理すればいい。その顛末までちゃんと見届けたいとは正直思わない。 たしかに心の交流の兆しはマッチ棒が着火するときのように常に驚きや興奮をひとびとに与えるものだが、それを時間をかけて探求したいとは思わない。僕にとってそれは炭鉱を掘るより重労働である。お金をもらわないとやれない。 そういうわけであくまで無償で提供していた配信は割に合わなくなったのでしばらく休止とした。ひとりでいるのはとてもつらいことだが、いまは黙って引きこもっていたい。こちらが口を開けば開くほどあなたと僕との間に小さなズレが生じる。配信で僕の年齢を公にしたせいなのかわからないが、このごろリスナーとの距離がとても近く感じられて息苦しくなった(同時にリスナーの年齢層が僕よりひとまわり高いことも明らかになった)。舐められているとまでは言わないが、妙に馴れ馴れしいなとイラッとする瞬間は確実に増えた。僕たちは友達でも恋人でもない。オナニーの報告なんて聞きたくない。それにしばらく咳もあることだし休止にしておくのが妥当だろう。あの理想的な神輿のような人間関係が体現できなくなったとも言える。パパ活もコロナの感染拡大を受けて休止している。エネルギーを補充する手段が減った。気分はいまだによくない。ちょっとした精神的危機を迎えている。 読者からのコメント欄を排除したこのブログなら、コミュニケーションの重みもほとんど感じることはないし、しばらくは続けていけそうだ。