AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

パパ活を続ける理由 前編「神輿モデル」

PCR検査で陰性と出たが、解熱後もひどい咳と鼻水と痰に悩まされている。どのくらいひどいかというと、咳込むたびに腹圧が上がるためか、胃液が喉元まで込み上げてくる。今朝はそれで目が覚めた。しばらく続いたので便器に首を突っ込んで吐いた。あまり心地よい目覚めではなかった。明日からいちおうワクチンの予診の仕事がはじまる。日曜日なので派遣会社の担当者は不在だ。リスケはできそうにない。とりあえず近くのドラッグストアでいつもの強い鎮咳薬を買い込んだのでそれで乗り切るしかなさそうだ。 流石にパパ活も自粛している。一人ひとりにメッセージを送り、体調が戻ったらまた今度会いましょうと詫びた。怒るひとは誰もいなかった。むしろ「お大事になさってください」という温かな言葉が並んだ。末尾には申し訳ない程度に小さなハートマークの絵文字が添えられていた。出会い系やマッチングアプリの界隈には本当に悪質な女性ユーザーが多いのは確かだが、ちゃんとある手続きを踏めば、こうしてまともな女性にも巡り合うことができる。詳しい手続きは割愛するが、要するに誠意を尽くすこと。これに尽きる。男性だから偉いとか、医者だから偉いとか、そういう価値判断をやめて、ひとりの人間として正直に向き合う。とくにテクニックではないと思う。顔の見えない大勢のひとを相手にする配信でも僕はいつもそのことを強く意識している。そして、こちらから積極的に胸襟を開いて誠意を見せたとき、相手が見せる反応をよく見極める。横柄な態度だったりマウントを突然相手が取りはじめたら、それが相手の本質であり、僕は安心してブロックすることができる。このひとに時間(寿命)を預けるのはもったいないなと確信できる。いくら若くて容姿端麗で自分の好みのタイプだったとしてもこの辺りの判断はあまりブレたことがない。 ところで、パパ活というものについて話題が及ぶと「いい年していつまでも異性と遊んでるなんてよっぽどヒマで寂しいひとなんじゃないか?」とか、「よっぽど性欲が強いひとなんじゃないか?」とか、視聴者の間にもさまざまな憶測が飛び交う。なぜ真面目な医者のあなた様がパパ活なんかするんですか? と。僕は「改めて別の機会にまとめて述べます」とだけ答えていつもお茶を濁してきたわけだが、やっぱりここでちゃんと答えておきたい。前回述べたように、それがこの身体的不調の原因になっていそうだから。 まず、寂しくないか? お金のやりとりなんかして虚しくないか? そういう類の質問に対しては、寂しくないとしっかりとここで明言しておきたい。むしろ付き合っていたころよりも満たされている。これは強がりでもなければ気の迷いでもない。当初は僕も自分はなんておかしい人間なのだろうと恥ずかしく思っていた。でも、自分の考えがまとまるのにかなり時間を要したが、おそらく心の満たされ方が僕と皆さんとで根本的に異なっているのだろうという暫定的な結論にようやく至った。言うまでもなく一般的な考えではひとりの異性から愛護されることを至上のものとするが、それはどうだろうか。たとえ愛し合っているとはいえ、もともとは別々の人間な訳で、完全な価値観の一致はないし、衝突は避けられない。たとえば趣味が一緒だから好きになったとしても、夜の営みの相性が合わないなら、それはどこかしこりとして残り続ける。僕はタバコが大嫌いだから、いくら好きになった女性でも喫煙者だと分かるやいなや百年の恋も数秒で冷めてしまう。僕の場合、もう少し価値観が歪なので厄介なことが起きてしまう。基本的に一人でいるほうが好きなのだ。いちいちベタベタ一緒に居られると苛立ってしまい、余計なことを言い出しかねない。嫌いなわけではないが、パーソナルスペースがかなり必要な人間なのだと思う。相手の顔色をうかがうことに神経を消耗してしまう。アンテナの感度が異常に高い。だから1日に最低6時間くらい寝る時間を除いてひとりでいたい。僕のこの特殊な価値観に相手の側が一致させようとするなら、ここに大いなる矛盾が生じる。結局別れて暮らすしかなくなるのだ。 もし恋愛成就したとしても、嬉しいどころか好きな女性の寿命を頂いたことにプレッシャーを感じるだけだし(女性には出産可能年齢というものがあるので男性より時間の価値が重い気がする)、そもそも幸せにしてあげられる自信がないし(だから僕はペットさえ飼えない)、極端にいえば罪悪感のようなものに押しつぶされそうになる。友達がいないのも似たような考えに基づく。それだったらパパ活のほうが気楽で随分マシだと思うというのだ。ベストではないがギリギリ僕が傷つかなくて済むベターな選択である。僕のお相手の女性にたくさんパパがいてくれたほうがむしろいい。ひとりの女性を複数の彼氏が支えればいい。まるでお祭りでお神輿を肩に乗せて威勢良く担ぎ上げる若人らみたいに。僕ひとりで持ち上がらない高嶺の花もみんなで協力すれば持ち上げることができる。僕はその中に混ざって片棒を担ぐことができるならそれでいい。ちょっとだけ恋人みたいな甘い夜を過ごしてその上澄みをすすれればもう満足だ。僕はそのとき目の前にいる女性に尽くす。その夜だけでいい。朝はひとりがいい。相手の女性に深入りしたくはないし、立ち入られたくもないから。女性に担がれるのはあまり好きではないから、キャバクラとか風俗だととても居心地が悪い。男に媚を売る女とかベッドの上で臆面もなくイッた演技をかます女は好きじゃない。 もっと具体的に理想の恋愛像を言うと、サブスクみたいに月額定額いくらか払ってそこそこ美しい女性が入れ替わり立ち替わりできてくれればもう言うことはない。つまり、僕は毎日別のお祭りに参加して、別のお神輿を担ぎたい。そういうわけだ。おそらく僕の恋愛観は従来の恋愛観に基づいた浮気や不倫と呼ばれるものでもない。ひとりの本命をキープして、裏で付き合うというのは僕も卑怯な手口だと思う。僕はパパ活で会う子にはいま15人の女の子と会ってるということは正直に伝えている。そこが誠意にあたる。 こんな調子で語るもんだから、こういう前提を踏まえてその日にあったパパ活の話をすると、リスナーのみんなは「はっ?」と軽くパニックを起こす。僕も僕で「ふぇっ?」となる。配信者とリスナーの間でしばらく不穏な接触不良を起こす。最終的な落とし所として「朝青龍みたいな顔の女がきた」などの手痛い失敗談とかで笑って楽しんでもらえれば結構だが、本当はこの話には僕の人間観が全て詰まっているのだ。パパ活が次の大恋愛までの慣らし期間だと思われるのはきわめて不本意だ。 もちろんこの考えを皆さんに押し付けるつもりはない。悩みに悩み抜いた末、これは僕にとって必然なんだと思うことにした。恋愛だけじゃない。現実の友達よりも気楽にアクセスできるネットの向こう側にいる不特定多数のひとのほうがなんとなく自分には心地いいんだけど、ここの読者にもあんまり伝わないのだろうな。

 

 

ao-hayao.hateblo.jp

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