AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

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パパ活を続ける理由 後編 「愛ではなく罪悪感」

このあと弟と散歩してくる。まだ咳が残っているが、完全な回復を待っていたら肝心の基礎体力の方が戻らなくなりそうだったので、どうせなら一緒に歩こうと弟を誘った。都内には歩くだけで心躍る道がある。もともと弟は身体障害者だ。100万人にひとりがなると言われる、国の難病にも指定される自己免疫性疾患のせいで手足の自由が奪われた。神経障害が心臓に及べば心停止して死亡すると主治医に宣告されたこともある。決死の覚悟で臨んだステロイドパルス療法が運良く著効して車椅子生活を脱したものの10代に歩けない期間がとても長かった。だからこうして弟と横並びで歩くことは僕らにとって特別な意味があった。ともにあの腐った家庭を生き抜いた唯一の同志でもあった。父も母も、毎日のように病床にお見舞いにきていたが、二人は対面しないように必ず時間をわずかにずらしてやってきた。母が父のあとにやってきて、父とどんな話をしたか執拗に問い詰めた。尋問に耐える弟のことを僕は気の毒に思った。 パパ活は金銭的にも精神的にも肉体的にも男性側にも女性側にも負担になる場合があり、これを読んでいる読者には決してお勧めしない。どんどんパパ活をしましょう、と奨励しているように見られているとしたら、それは大きな誤解である。僕も普通の恋愛をしたいし普通の結婚をしたい。実際に恋愛がいいなと思えたこともあった。しかし、どういうわけか些細なことで諍い(いさかい)が絶えなかったし、絶食しみるみる痩せていく彼女の姿を見ていると、自分がなんだか彼女を苦しめている罪人のような錯覚に陥った。レストランで一緒にご飯を食べているときもなんだか不味そうに食べる彼女の些細な表情が気になった。返せとは言わないが食事代を出していたのはもちろん僕の方だ。ありがとうのひとことくらいあってもよかったのではないか。セックスしている最中も、彼女主導であれこれ指図されるのが気になった。彼女が満足するならまあいいかと受け流したが、感謝の意よりも「ここをもっとこうして欲しかった」という不満や非難の方が多かった。そのとき言ってくれればいいのにあとでまとめて突きつけてきた。数えたわけじゃないが記憶に残っているのはそういう非難ばかりで、僕は自分が愚鈍なのではないかと真剣に思い悩んだ。世の中の全ての恋愛がこういうギスギスしたものなのか僕には確かめようもないが、少なくとも僕が経験したのはそういう自己犠牲の上に成り立つカリソメのやりとりに過ぎない。本当に恋愛はいいものなのだろうか? そもそも自分がしているのは恋愛なのか? 何か自分だけ別物を食わされているのではないか? と何度も自問自答した。疑問を力で振り切っていい彼氏になろうとしたことが、結局のところ決断のときを数年も遅らせてしまった原因なのかもしれない。僕は彼女を愛していたのではなく、あくまで可哀想な存在だと同情していただけなのだ。仔猫のように震える女性を見て、傷ついた何者かの姿をそこに重ね見て、自分がなんとかしなければならないと躍起になっていただけなのだ。彼女の直接的なものの言い方に傷つけられたとしても、彼女もこうして過去に傷つけられてきたのだろう、と好意的に解釈しようと必死になった。そして自分の包容力や理解力が足りないのだと自分を徹底的に責めた。彼女に向けた怒りは一瞬で自分に向かった。なんて僕はダメな人間なのだと自分の胸を繰り返し刺した。そうだ、そうだという彼女の絶頂の口舌もそれに加勢した。自己嫌悪や罪悪感のやり場に困って、結局、僕は彼女の前で爆発的な怒りを露わにした。ただに怒りではない。限界まで内圧を高めたあと、一気に解放された理不尽な怒りである。彼女は閉口し、しくしくと涙を流した。それが引き金となって僕の内部の怒りをさらに増幅させた。 いつ爆発するかわからないものを抱えていることが、僕にとって恋愛の本質だった。これはなかなか読者の共感が得られないだろう。パパ活と同様に僕も僕で理解されると思ってはじめから書いていない。でも書かずにはいられない。 そういうわけで、深入りするたびに僕の心の内奥にて巻き起こる憎しみの情緒を巧みに避けながら、女性との恋愛的な要素を楽しむには、やはり「神輿モデル」で述べたような遠浅な異性関係というものに帰着せざるを得ない。女性的な要素を完全に排除できるほど僕はまだ強くない。甘えたいし、自信を与えてほしい。存在を証明してほしいとどこかで思っている。 ただ、パパ活での存在証明に固執するあまり、金銭的な資金が段々と足りなくなってきたのはすでに述べたとおりだ。だから仕事を増やさざるを得なくなり、過労で身体にガタがきている。男性優位のパパ活市場においても、僕は女性の尻に敷かれてしまっている現状があって、恋愛を卒業したいまもなお同根の葛藤は続いている。楽しんでいるというのは上辺だけで、罪滅ぼしとしての奉仕の関係に溺れている。