AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

牙を抜かれる理由

東大前で17歳の高校生の男性が受験生らを刃物で刺した事件について、精神科医としての意見を聞かせてほしいと配信で頼まれることがある。ひとを殺すなんて絶対に精神異常者に違いないと決め打ちをして。その人だけでなく、おそらくだいたいの精神科以外の医者も素朴にそう考えるだろう。たとえば病院内で患者が暴れると、他科の医者がまず精神科に紹介状を書いて送ってくる。「行動化」とか「行動異常」とかいった言葉で切り取られて脳の問題に還元され、脳異常を扱う医者として精神科医が引き受けることが周囲から期待される。実際、あれはあまりにセンセーショナルな事件だったので、逮捕後、精神科医がどこかの段階で必ず関わってくるだろう。 で、僕のコメントだが、結局のところ本人を診察しないと何も分からない。以上。がっかりさせて申し訳ないが、現時点でこの事件の真相に関わる男性の精神状態について断定的なことを言う精神科医臨床心理士犯罪心理学者などがいたら、ただの目立ちたがり屋か、偽者であろう。生い立ちから現在に至るまで物語仕立てに説明できるという精神分析の立場を取るべきなのか、それとも何らかの未解明な脳の機能異常に還元できるとする精神病理学の立場を取るべきなのか、それとも急性に進行する全身性の炎症もしくは脳炎とする内科的な立場を取るべきなのかさえ、僕にはわからない。少なくとも報じられた情報からは何も断定できない。司法と医学の両面から慎重に精査して、二度と刺さないように適切な介入が求められる。 したがって以下は僕の空想というか自己開示のお話になるが、報道によると「医者になるために東大を目指したが、合格の見込みはない」と嘆いて犯行に及んでおり、シンプルに考えるなら嫉妬攻撃の線が妥当だろう。うちの配信にもよくこういうタイプの荒らしがやってきて僕を傷つけて無責任に去っていく。精神分析的に言うところの「エンヴィアス(羨望的)なアタック」というやつである。よく出てくるフレーズ。ひとは自分に欠けている何かに気づく。そういうとき、世の中の不条理に腹が立ち、自分が持っていない才能を持っているひとを傷つけようとする。自分と同じ苦しみを思い知るがいい。そんなところだろうか。そう、自己愛領域の中核が何者かに侵蝕されたとき、自分を守ろうとするしょうもないプライドが判断能力をダメにするものだ。言うまでもなくひとを刺そうというのはかなり短絡的な発想だ。普通の受験生ならそんな風には思わないだろう。しかし、程度の差こそあれ、もしそういう動機だとしたら彼の精神状態は僕らの正常心理の延長線上にあると言える。殺人未遂とはいえ、僕らの心と地続きになっている。僕らも他人も不幸を望むことがよくある。衝動的に、死ね、と思う。それは精神分析的な解釈や治療的介入の道が開かれていることを意味し、さいわい犯人はまだ若いし、少しだけ希望が持てる。 医者になるくらい頭がいいひとは、小さいころよく神童のように扱われ、もてはやされる。僕もそうだった。小2の頃にすでにかけ算をやっていたとか、写真のようになんでも記憶できたとか、中学生のころ県内で10番以内だったとか。高校を首席で卒業したとか。配信でよく過去の栄光としてそんなことを話すけれど、そんな僕だって医学部に進学すると並以下の人間になってしまう。要するに周りに天才が現れて自分の才能がぼやけ出す。数学オリンピックで金メダルを取ったとか、高校生クイズで決勝戦まで行ったとか、親が裁判官だとか、作文コンクールで内閣総理大臣賞を取ったとか。朱に交われば赤くなる。恥ずかしくてもはや勉強ができるということを自分のプロフィールに書けなくなる。恥の上塗りだ。完全に自己愛領域をグチャグチャに蹂躙される。深い傷つきを味わう。結局、僕は2010年当時としては非常に珍しいかったライブストリーマー(配信者)に活路を見出した。うつ病の闘病生活の真っ只中だった。そこで巻き起こる僕とリスナーを含めた心の不思議について知りたいと思うようになった。こうして熾烈な能力戦争の最前線から退いた。まともに戦ったら能力値ではかなわないから自分だけの道を模索した。それが正しかったかまだ答え合わせの途中だが。 いずれにせよ、遅かれ早かれ自分が天才ではないことを人生のどこかで思い知らされる。必ずそのタイミングがやってくる。牙を抜かれてこじんまりとする。時間をかけてちょっとずつ嫉妬が尊敬に変わっていく。怒りの感情がそれに抗う。でもいずれ自ら進んでその変化を受け容れられるようになる。情けない自分を許すことができるようになる。まあ俺なんてこんなもんだろうと。それが大人になるということではないだろうか。

 

 

ao-hayao.hateblo.jp

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