AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

楽観論に思う

新型の変異株が流行の兆しを見せている、そういう内容の記事をヤフーで読んでいると、「専門家は感染拡大すると脅しているだけでそんなことなら誰でもできる」という専門家ディスや、「ようやく弱毒株が広がってきてただの風邪になりましたね」という楽観論が広く散見される。もちろんこれはあくまで僕の見たままの感想だけど。 医者を含め医療専門家と称するものたちがオオカミ少年化しているのは否めない。ただ、そもそも医療というのは最悪のシナリオを防ぐように動機付けされているものなので仕方ない側面はある。例えば医者はガン告知の際には余命をすこしだけ短く伝えるものだ(もし長く伝えて短命だったとき裁判沙汰になるから)。もし宣告された余命をより長く生きられたらご遺族も納得してくれる。医者はすみませんと一言言えば済む。どうしてもいいニュースを聞きたければ医療の専門家以外の話を聞いていればよろしい。専門家ディスへの反応はこのくらいでいいとして、弱毒株が広がればコロナが終焉するという楽観的なシナリオは一体どこから流れてきたのだろう。弱毒株の出現とウイルスの終焉を関連づける仮説は医者として初耳なので、本当にびっくりしている。僕が親しんでいるこれまでの医学の常識で考えると、弱毒であろうとなかろうと、ウイルスや細菌などの微生物が蔓延すればそれだけ塩基配列に変異が加わりやすく、従来のワクチンや抗生剤などに耐性を持つ変異種の出現が危ぶまれる。だから感染を出来るだけ減らそう、もしくは遅らせようというのが重症化や死亡を防ぐことと同じくらい重要な指標となっている。たしかに感染してナチュラルに抗体を獲得し、、、というのもわかるが、悠長に抗体獲得を待っていると、重症化して亡くなってしまう抗がん剤治療中の患者や誤嚥性肺炎を繰り返す高齢の寝たきり患者、臓器移植後の免疫抑制剤を内服し続ける患者などにも感染が広がるかもれない。これはもう取り返しのつかない事態だ。楽観論者には医療現場の情景が全く見えていないのだろう。重症化しないから何十万人でも感染していいという楽観論は、コロナ禍の初期の頃に見られた、かなり過激な思想だと思わないだろうか。なぜ時代を巻き戻すのか。もちろん無知な悲観論者のように無闇にパニックを起こす必要はないし緊急事態宣言を連発する必要ないと思うが、ちょっと年末年始の人流を見ているとヤバそうだなと思う。引き続き外出自粛の呼びかけは続けるべきじゃないかな。あと素朴な疑問というかひとつの反例として、既存のウイルス、例えばインフルエンザやアデノウイルスなどが一世紀以上も流行を繰り返しているにもかかわらず終焉しないのはどのように説明されるのだろう。 感染者数は新規変異株の出現の目安、入院数や重症化数や死亡数は医療逼迫の目安としてもっとも注視したい。医療逼迫の程度によっては5類感染症の扱いとしてもよい。そして地元の開業医さんが有症状の陽性者に対応するという形でもいいかもしれない。今後も変わらず見守りたいし、僕は一介の医者として自分にできること(ワクチンの予診など)を続けたい。

 

 

ao-hayao.hateblo.jp

 

 

 

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