AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

正を刻め

去年大学病院を退職して以降、コロナワクチンの予診のバイトをちょこちょこ頂きながら生活している。バイトといっても医者のバイトなので生活には全く困窮していない。いくら医者が溢れた都内でも時給1万円くらいは保証されている。コロナワクチンとなると国策なので相場よりやや高めに設定されていて時給1.5ー2万円は期待できる(年明けから値下げ競争が起きているようだが)。大学病院の給料が額面で20万くらいだったので、それに比べると5ー10倍は貰っている計算になる。 取り分はぐっと増えた。それならみんなバイトだけしていればいいじゃないか、と医者じゃないひとたちは眉をひそめることだろう。たしかにお金持ちになりたいならそれでよろしい。でもそうならないのは、バイトは単純な肉体労働とこの業界では低く見られているからである。外来や救急のバイトならまだしも、特に予防接種の予診や健康診断の問診はその側面が強いとされる。つまり1年やっても2年やっても、そもそも習熟するスキルというものがないとこの業界では考えられていて、伸び盛りの若手医師やキャリアパスを念頭に置いた意識高い医者たちには敬遠されがちだ。ワクチン会場を見渡しても僕と同世代の若手医師をほとんど見たことがない(五輪前の代々木公園の大規模接種には結構いたけど、あれ以降全く見ていない)。だいたい白衣が身体に良く馴染んだ白髪のおじいちゃん医師や、出産を終えて一息ついたママさん医師しかいないと言っても過言ではない。いずれも出世競争から一定に距離を置いた、つまり医療の最前線から老いや出産などでやむを得ず後退してきたひとたちだ。そんな中に僕はひとりいる。まだ若いしよく身体が動くから、という理由で外国人の接種希望者の対応や経過観察中の救護対応に回されることがたびたびあるにせよ、基本的にのんびりした空気の中で、宙に浮かぶホコリみたいにその場にまどろむ。ここまでゆったりしていると勝ち組どころか出世競争から滑り落ちた、まるで何も仕事のできない不適合者みたいな、寄る辺ない気持ちにならないこともない。喩えるとまるで伸び切った金属のバネだ。きっと精神と時の部屋でもこんな被害妄想や劣等感や自己嫌悪に急激に襲われることになるのだろう。寄って立つ専門性も特に持ち合わせていない(かろうじて精神科医ではあるけれど病棟も非常勤でしか受け持っていないし外来もそんなにハードじゃない)。自分が何者なのか自分でも段々とわからなくなってくる。スマホをいじったり本を読んだりしたこともあった。でも、そんな生半可な時間稼ぎでは埋まらないくらい、ここには時間は本当に余っている。接種者が突如キャンセルしたり、希釈分注の作業などで数時間くらい不規則に暇な時間がやってくる。どれだけ辛抱してもキャリアパスに何ら影響しない、真空みたいな死の時間が充満している。 無人島に漂着したひとが日数を甲板に刻むように、僕は正気を保つべく予診完了したひとの数をできるだけ正確にカウントするように心がけている。紙の手帳を取り出して「正」の字を着実に積み上げていく。気づいたことがあれば余白にメモを残す。(まだ未完の)エッセイの構想もそのようにして生み出された。構想の一部は、このような形で短文にしてブログになることもある。無駄なことはない。なるべく数値化し、日々の微かな変化をキャッチすること、そしてそれを自分なりに噛み砕いてリリースすること。インプットとアウトプット。赤い球を1個投げ入れると青い球が2個出てくる手品みたいに、常に意識のフローを維持し続けることがこの真空状態で生き残るための唯一の方法である。このことに気づいたからいまこうして書いている。

 

 

ao-hayao.hateblo.jp

 

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