AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

無視ではなくブロックで

年末に母とすこし話した。この1年の間に溜まりに溜まった不満を聞いた。というか聞かされた。やれやれ。どうしてこうも女性は延々と愚痴を言い続けられるのだろうと感心した。その内容の大半は、友人らに対するものだった。「〇〇」などと空気の読めないことを言われた、ねえ、おかしくない? どう思う? という調子。たとえばこんなものだ。友人Aと16時にお茶の待ち合わせをした。母は5分以上前に着いていたが、友人の姿はないし、一向に現れない。やや時間が過ぎてこのようなラインがあった。「30分遅れます」 そのあたりで道草食ってようやく現れた友人に反省や謝罪の色はなくこう言う。「煮物の準備してたの。〇〇さん(母の名前)だからいいと思って」。母は怒りというか呆れ顔を浮かべて不服そうにしながら僕の返事を待つ。それはひどいね、と答えることがあらかじめ期待されている質問なので返答にはそれほど苦労しなかったけれど、あまり共感できない種類の悩みだなと率直に思った。というのも、僕だったらそんな失礼な発言をする奴がいたら七手前で縁を切っているからである。すくなくとも僕なら5分も待たない。時間も守れないようなだらしない人間に話すべきことなど何もない。母はその後もたびたびラインでバトルを繰り広げていた。身近にそんな失礼な奴、というかADHDみたいな奴がいたら、僕なら口を聞こうと思わない。ああ、こういうひとなんだな、みんなから嫌われて残念なひとだ、という同情の言葉を心に思い浮かべておしまい。縁を切るなりブロックするなり、自分の視界から存在そのものを消して収束を図る。苦情は申し立てない。黙ってやるのがコツだ。なるべく穏便に。対照的に、母は怒りに狂いながらも、「ブロックするのは悔しいから無視してやる」と復讐に余念がない。これも「まだ変わってくれるかもしれない」という相手への期待なのだろうと思う。無駄なのに懲りない。僕は来年もまた同じ愚痴を聞かされるのだろう。

 

 

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