AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

硬くならない理由

読書にも飽きた。来るはずもない接種希望者を待ち続けることほどつらいことはない。気分はあまりよくないし、何か頭を使わないことをやろうと思い立ち、スマホパパ活アプリを弄るかたわら、ブラウザで検索に引っかかった中イキの体験記をいくつか漁って読んでいた。書き手は男性の場合もあれば女性の場合もある。個人ブログもあれば、なんかのラブグッズの宣伝だったり、出会い系アプリの誘導サイトの場合も少なくない。ネットを見渡せば真偽不明なテクニックや奥義のようなものがたくさん出てくる。そのほとんどが出来の悪い官能小説か何かのように僕には見える。もしくは男性を興奮させるために女性が仕掛けた嘘か。僕の人生にとって間違いなく何の意味もないが、まあ、いい退屈しのぎにはなるだろう。 28のころに心因性EDを自覚するようになった(すでに何処かで述べた通り)。彼女との性生活に何らかの不自由さを感じたり、営みの最中に些細な行き違いから不満や憤りを抱き、初対面のころのように素直に喜びを共有できなくなった時期とちょうど重なる。女性に優位に立たれたり、やり方を具体的に指示されたり、という心理的なプレッシャーが本当に苦手なのだ。トラウマがあってのことだったと後に知ることになるが、彼女に(表現を自己規制するが)『指を使った前戯』を全否定されたのが僕としてはショックだった。まるで最愛の女に玄関先で拒絶されたような罰の悪さを感じた。いままでそれで痛い思いをさせたことは一度もなかった。身に覚えのない罪で締め出しを喰らったみたいに最悪な気分だった。なにか僕は彼女にいけないことをしてしまったのではないかと心配になった。思い返してもなぜ拒絶されたのか分からなかった。ひとたび罪悪感が脳裏をよぎると、それまで確実に硬かったものが急に縮小して萎えた。十分な強度を保てず、ブカブカになったゴムを持て余し、しばらく唖然とした。こっちの複雑な台所事情を知ろうともせず「早く入れて欲しい」と匂わしてくる彼女に僕は殺意を感じた。こういうときの男性の気持ちは女性には永遠に分からないだろう。これを超えるような理不尽さはこの世に存在しない。 もちろん性生活が男女の関係の全てではないが、それ以後、それまで許せていたこともなぜだか無性に許せなくなった。 破局後、パパ活でもごくまれにだがそういう恐怖心のある女性に出会う。男性のモノを挿れるのは構わないが指だけは嫌だという女性に2人ばかり出会ったことがある。いずれの女性もそれまで何回も会っていた女性だったが、ある日成り行きの中で拒絶が決定的に明らかになると、僕は全人格を侮辱されたような心持ちになり、怒りを爆発させた。無防備に横たわる女性を前に「出て行け」と僕は怒鳴り散らした。女性は慌てて服を抱えて僕の視界の外に消えた。彼女たちとはそれっきりだ。なんとも気の毒だ。僕も思い出しただけで気分が悪い。ひとの心には触ると爆発するような地雷がいくつか埋まっているものだ。こんなところに埋まっていたなんて全く予期していなかったし自分でもびっくりした。まだほとんど手付かずの状態で危険な感情が地盤に埋まっていたのだ。些細な行き違いだが、指にまつわる女性の小さな拒絶は確実に僕の硬い岩盤を破壊してしまうようだ。 あの日を境に、自分史を前編と後編に分けることができる。後編の人生を生きているいま、反動からなのか、パパ活では口や指で女性を喜ばせることに没頭している。というより固執している。モノの挿入を僕から要求することはないし、ほとんどの女性は要求してこない。僕は下着を履いている。直に見せることさえ遠慮する。指だけで失神してしまうひともいるくらいで、絶頂に到達するために女性は必ずしもモノを必要としないのだと悟った。翌日も朝から仕事があるし身体の負担が大きい、との理由で指と口(舌)だけで済ませることが大半である。薪をくべるとしばらく自律的に燃え上がるのが女性の身体の不思議なところで、いったん着火すると必ずしも僕という着火剤を必要としなくなる。ことが済んでしまうと、彼女たちの記憶から僕はキレイに抹消されるようだ。たまに寂しさはあるが、まあ、深入りしてもややこしいだけだし本番はパートナーとやって欲しいなと率直に思う。僕には心の穴まで満たしてあげることはできない。絶頂に達すると2、3日のあいだ身体の芯がポカポカした感じになるという女性もいる。ベッドからおりて立ち上がった後、しばらく足取りがおぼつかない。しばらくベッドで休んでいればいいのにフラフラしながらトイレに駆け込む。別れた後の帰り道、駅のホームから転落しなければいいが、と密かに僕は祈りを上げる。神秘的な燃焼の効果が次第に切れてくると、僕からアプローチしなくても彼女たちの方から僕に連絡を入れてくる。いろいろな意見はあると思うけれど、これはこれでいいんだと僕は納得している。