AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

『ソクラテスの弁明』を読んで

○本の紹介

弟子のプラトンによって書かれた、師匠の哲学者・ソクラテス古代ギリシャで紀元前5世紀ごろに法廷で弁明した事実に基づいたフィクション。ソクラテスは神々を信じず風紀を乱したという理由で訴えられ、裁判員の投票によって僅差で死刑を命じられる(実際に死刑に処された)。弁明の中でソクラテスは「あなたがアテナイで一番知恵がある」という神託を受けたというエピソードを語る。しかし明らかに自分は無知であり神託の内容に納得できず、それに反駁すべく自分の無知を暴くために当時の政治家や詩人など賢者の元を訪ねて徹底的に議論を挑んだ。しかしながら、どんな相手と議論しても自分より知恵のある者は遂に現れなかった。彼らは自身が何でも知っていると信じている点で、自身は何も知らない(無知)と信じる自分より劣っているとソクラテスは考えた。その後も神託に反駁するために議論を重ね、当時のあらゆる知識人たちを次々に論破し、世間から敵意や反感を買ってしまったことで中傷が止まらなくなったとソクラテスは分析する。弁明は虚しく、死刑となった。もしあの神託が本当に正しいのだとすれば、無知な自分を自覚することこそ最も知恵があることになるとソクラテスは思い至る。 現在のSNSによる誹謗中傷や私刑に通ずる興味深い哲学書。余計なところを飛ばせばさらっと読める薄い文庫本。本の後ろ半分は解説が占めている。とくに読む必要はない。

 

○ひとこと感想

ワクチンの予診の合間にKindleでサクッと読んだので要点以外はあまり詳しく把握していない。言い回しがいちいち回りくどい。にもかかわらずずっしりと重く胸に残る一冊。ソクラテスが正直に真実を伝え、500名ほどいる裁判員に向けて最後まで命乞いをしなかったところが胸を打つ。死刑になる論理的な根拠はないが、何となく多数決によって裁かれ、時代の雰囲気にそぐわないため殺されてしまう。当時の喜劇などで愚鈍な哲学者としてソクラテスは実名でよく登場し、ひとびとの嘲笑の対象となっていたようだ。しかし法廷の弁明で明らかになるように、その場に居合わせたほとんどのひとは実際のソクラテスが議論しているところを一度も見たことがない。大して確認せず悪い噂をすぐ鵜呑みにしてしまう大衆の心理を克明に描いた傑作だった。いつの時代になっても人間の心はそんなに変わらない。コロナ禍のいま、正しさとはなにか、考え直してみたい。ワクチン陰謀論とはなんなのだろう。そういう不安に晒されつつ、それでも勇気を持ってワクチンを打つ決心をした高齢者に、僕は医者としてなんと声をかけるべきだろう。なぜだかとても励まされた。