AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

自己愛領域と毒針分析

吐けるだけ吐いて胃袋の中身を空っぽにしたら大泣きしたあとみたいにスッキリした。嵐が過ぎ去り、静かな凪を眺めているときのような落ち着いた心境に至った。38度に迫ろうかという急な発熱も1時間のうちに正常域まで回復した。空腹を感じて流動食みたいなものから摂取を始めた。もう吐き気はなかった。 オミクロン株の流行が都内でも懸念される中、発熱したとき今後どうしようかと焦った。結局pcrは陰性だったが以前にも発熱した時があって、関係各所に連絡を入れて仕事をキャンセルしてもらった。ただの派遣社員だから仕事に穴が空いたら有給制度はないし収入はゼロになってしまう。次からお仕事のお誘いもかからないかもしれない。フリーはフリーで収入は不安定だしあんまり精神衛生上よくないなと思う。 ところで、それに関連したことではないかもしれないが、食欲が戻ってきたのでゼリーを食べようと配信で言ったところ、「だからデブになるんだ」といういつもの荒らしによる投稿コメントがすかさず飛んできた。あえて彼とここでは呼ぶけれど、彼は配信の文脈に関わらず体型に関するコメントで放送を荒らすため、そのつど僕は配信上で彼を通報するように視聴者に協力を求めている。彼はデブという言葉に僕が過剰に反応しているというが、僕は脈絡のないコメントの投稿に対して規約違反だと指摘している。この誤解が去年の暮れからずっと反復されていて僕は過去の記事でも述べたように精神遅滞(知的障害)を疑っている。彼は知能に深刻な遅れを持ちながらも僕を傷つける最適な手段として体型というセンシティブなテーマを選んだようだ。しかし、僕は見た目にはあまりこだわりがないし、もちろん体型にもとくにコンプレックスはない。筋トレは日々のメンタルの安定のために日課としている。ダイエット目的ではない。いわゆる自己愛領域はそこじゃないのだ。体型だけに限ったことではない。たとえば野球できないだろうとかバレーできないだろうなどと相手に煽られても僕は全く悔しくない。痛くも痒くもない。ああそうですかという感じ。なぜならそこは僕の自己愛領域じゃないから。顔のパーツにもそんなに不満を感じたことはない。イケメンという意味ではないけれど僕は自分の身体にあまりこだわりはない。生きていく上で人間は性別によらず生きる糧となる自己愛領域をそれぞれ独自に持っていて、その領域の範疇では絶対に誰にも負けたくないという意地を密かに備えているものだ。誰だってひとつやふたつくらいそういうものはあるだろう。僕にもそういうエネルギーの発生源みたいな領域はある(詳しくは小此木先生の自己愛人間を読むといいが、自己愛とは簡単に言うと生きるエネルギーみたいなもの)。ただその領域はプライドの源泉でもあるし同時にコンプレックスの原因でもある。下手に弱みを見せることになるからあまり言いふらさないほうが賢明だ。 こうなってくると、顔出ししたことのない僕に向かってデブとコメントで揶揄することで僕が傷ついて逆上するだろう、と考えた彼の考えに触れざるをないわけだが、僕の考えでは彼はおそらくすごく体型にこだわっている人物である可能性が高い。過剰反応しているのむしろ彼のほうではないだろうか。彼は痩せているのか太っているのかそこまで分からないが、いずれにしても体型のことばかり考えている。そこが彼にとっての自己愛領域になっていると思われる。体型のことをいじられると自分が最も傷つくからこそ、彼は傷つける手段としてそれを選んだのだ。同じ苦しみを味わわせようと密かに企んだ。 そろそろタイトルの回収に入るが、このように荒らしコメントとしてよく見られる刺々しい言葉、いわば毒針をきちんと紐解いてみると、その毒とはそもそも荒らし自身の体内に回っている毒の可能性が高い、という推論が成り立つ。もしかしたら自分はデブかもしれないと鏡の前で日常的に思い悩んでいる人は、目の前にいる嫌いな配信者に向かってデブという。そういう自己愛領域のど真ん中に属した言葉が本人の意図しないところでポロッと口をついて出てくる。ただし生半可な怒りではこの推論は成立しない。本当にまさに僕のことを本気で傷つけようとしているひとに、この推論は見事に当てはまる。ボクサーがジャブを繰り出す時にもっともガードが甘くなり隙が生まれるように。こうした推論を僕は毒針分析と名づけている。とくに配信者はよく覚えておくとよい。精神衛生上、こういうテクニックを知っておくととても役に立つ。根も歯もない妙な悪口に幻惑されずに済む。 デブとかブスとか自己顕示欲の塊だとか寂しいひとだとか。不意に予期しない角度から罵詈雑言が飛んできた時、僕はその言葉の持ち主の自己紹介だと思っている。名刺くらいに思っている。ああ、デブのひとがいらっしゃったのか、と僕だったら読み直す。いちいち額面通りに正直に真に受けていたら身が持たないのだから。