AO-MONOLOGUE-LITHIUM 2022

ひとことで言うと、無料で公開している短いエッセイです

整う理由

このごろ睡眠時間はかなり余裕を持って確保できていた。しかし、目覚めがあまりよくなかった。たくさん寝ればいいというわけじゃない。朝起きたときに首周りの微かな疲労の跡があった。まるで何かの邪気を払うみたいにシャワーを当てて後頸部を重点的に流してみるが、効果はほとんどなかった。肝心なのは睡眠の質のほうで、思い立って夜間にフィットネスジムに向かった。無酸素運動を中心に1時間程度の筋トレを試してみたところ、翌朝、今度はスッキリ目が覚めた。例の邪気の痕跡もなかった。やっぱりな、と思った。おそらく眠っているときも余計な力が肩に入っていたのだ。筋肉をうまく弛緩できていなかったのだろう。筋トレはそう言った余計な力を抜くための賢いテクニックだ。力を抜くには、直前に思い切り力を入れるとよい。何度も繰り返していると、本当に身体が軽く感じられる。目に見えない鎧を脱いだように。そして内側からポカポカと温かくなる。額からサラッとした清潔な汗が滴り落ちる。これを小一時間かけて入念に行う。この間、他人の視線は全く気にならない。あくまで自分との闘いであり、対話である。この孤立した空間と時間が至高だ。誰にも邪魔されなくてとても気持ちいい。よく鏡の前でポージングして色々な角度から自分の筋肉の盛りを確かめたり、それでは足りずSNSで画像をアップロードしていいねをもらうひとたちがいるが、そういうナル(自己愛的)なひとたちと僕とで筋トレに求めているものが全然違うように思う。誰かに褒めてもらいたいとか、見てほしいとか、痩せてモテたいとか、そういう承認欲求というか外的動機というものが僕にはあまりない(もちろん全くないわけではないが)。むしろ、誰の目も気にせずひとりになれるからいいとさえ思っている。僕は精神的な安定を求めている。どちらが優れているということはないが、そもそも生き方が根本的に違うんだなとつくづく思う。 サウナにも筋トレと似たような効能がある。深部体温の上げ下げを通じて交感神経と副交感神経を交互に刺激することで、肉体に張り巡らされた自律神経のバラバラな動きを、心房細動にAEDをかけるみたいに、一挙に同期させることができる。水風呂に火照った肌を軽くくぐらせて、水分を拭い去り、じっくりと外気浴を楽しむ。全身の筋肉が弛緩し、目を閉じると空中浮遊しているような錯覚に陥る。悪くない。あのポカポカした感じと心地よい風を一枚の肌の内外にそれぞれ感じることができる。いわゆる心が整うような状態が完成する。瞑想とかもきっとそういう感じなのだろう。